還暦を迎えた未解決 「帝銀事件」

今週、1月26日で帝銀事件から丸60年になる。1948年、昭和23年といえば終戦3年目で、アメリカのGHQ(連合軍司令部)の占領下という社会状況で、戦後の混乱の中、まだまだ戦前の軍国教育を受けた大人達が日本を支えていた時代であったと想像します。奇しくも今年と同じ干支(戊子)の年に起こったこの帝銀事件を私なりではありますが一度考えてみたい。
ご存知の通り帝銀事件は地下鉄サリン事件が起こるまでは戦後最大と言われた毒殺事件であり、昔の本格推理小説などではなく実際にあった奇怪な難事件です。帝銀事件に関して私自身はそれまで表面程度にしか知らなかったのですが、731部隊の事を調べていた頃から詳しく知りたい衝動に駆られ、今更ではあるが松本清張氏の「小説帝銀事件」「日本の黒い霧」も読ませて頂きました。
事件概要は、1948年1月26日午後3時過ぎ、帝国銀行椎名町支店に、東京都衛生課員を名乗る中年男が「近所で赤痢が発生したので予防薬を飲まなければいらない」と云って行員16人に青酸化合物を飲ませて殺害(12人死亡4人生存)し、現金約16万円と小切手を奪って逃走した。捜査本部は当初、手口等から毒物の扱いに熟知する者で、また特殊な医療用具を所持していたことなどから旧陸軍関係者を中心に捜査していた。しかし1948年8月21日に平沢貞通という毒物の知識も医学の心得も無いテンペラ画家を逮捕し、直接犯行を示す確かな物的証拠も無いまま、1955年4月6日に自白だけで死刑が確定した。その後何度も再審請求されたが全て却下され、平沢貞通は死刑執行されないまま1987年5月10日に医療刑務所で病死している。95歳であった。
60年経った今も真実は明らかになっていない。平沢貞通は事件以前に詐欺未遂事件を犯していたり、コルサコフ症の影響からか直ぐばれる嘘を平気で言う性格であったり、さらに事件直後に所持していた大金の入手経路を頑なに語ろうとはしないなど怪しい人物であったことには間違いない。しかし肝心の毒物の入手経路が不明であるのと、事件当日のアリバイでは犯行時間に現場に着くには無理があるという弁護側主張も一理ある。ただ、どう考えても毒物知識も医学知識も無い彼が計画性を持って沈着冷静且つ鮮やかに残酷非道な犯行を成し遂げる姿が私にも想像できないのです。
死刑確定後32年に亘って36人の法務大臣が死刑執行の印鑑を押さなかった。いや、直接犯行を示す確実な証拠も無く、誤判の疑いもある以上押せなかったと言う方が正しいかもしれない。そっと歴史の闇に消えることを政府は望んでいたのかもしれません。しかしこれは証拠も無い一人の人間を逮捕後39年間も死刑待ちの恐怖の中で拘置所に縛りつけ、死刑以上の苦しみを与えたに相違なく、その事実がこの事件の奇怪さを物語っている気がしてなりません。時に人は愚かで浅はかです。自分の過信が取り返しのつかない過ちを生むこともある。鬼の首を取ったような逮捕劇、その後の捜査本部の方針転換、マスコミとそれに煽られた世論も皆が平沢を真犯人にしていた。もし仮に冤罪であればこれほど酷いものはない。時代がそうさせたで済ますにはあまりにもむご過ぎる話です。
松本清張氏は捜査の本筋は初期段階で既に旧陸軍関係に絞っていたにもかかわらず、途中で一つの壁にぶつかり、急激に方針変換したことを疑問視している。真犯人ではないかとされているのは旧陸軍関係者の中でも石井中将率いる731部隊の隊員達であり、残酷非道・用意周到・沈着冷静・人命無視な犯行を考えると全く不自然ではなく私も同感です。人体実験の研究データと引き換えに責任不問、存在は隠匿され、アメリカ(GHQ)の権力下で彼らは守られた。もしも真犯人がその中にいたならば、平沢貞通が居た拘置所の塀よりも遥かに高く、到底乗り越えれない壁であったに違いありません。悔しい限りです。
帝銀事件を知る人々は次第に少なくなり事件は嫌でも風化していきます。当時の極秘文書や犯人の自叙伝でも出てこない限り、真実が解明されることはないでしょう。しかし60年経った今でもなお、支援者により再審請求の活動は続いており帝銀事件がまだ終わっていない事件であることを忘れてはいけません。
↓参考
小説帝銀事件(松本清張 / 角川文庫)
日本の黒い霧(松本清張 / 文藝春秋)
帝銀事件ホームページ
帝銀事件(無限回廊)
帝銀事件(事件史探求)
帝銀事件(Wikipedia)
731部隊(Wikipedia)
関連タグ:731部隊






